2007年10月16日

量子論って

量子論って何か変な感覚を覚えるのは、
「観測」というものが出てくるからなのでしょうね。

「観測」というと人間が行うもので、かつ、主観的な雰囲気を感じてしまうのです。そして、ミクロの世界の量子の状態が「観測」により決定するのなら、その集合であるマクロの世界も同様な気がしてしまうというところでしょうか。

でも、「シュレディンガーの猫猫」は、ミクロの世界とマクロの世界は、同じように語れないことを指摘します。

posted by 台北猫々 at 22:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記